航空母艦、海軍の要③

どうも!昨日は休んでしまい申し訳ありませんでした・・・
ちょっとした理由でパソコンを開くことができずにいましたm(_)m

さて!

3回と言ってきましたが、意外にも記事量が多く3回では収まりきりそうにありません…
これも本当に申し訳ないのですがもうちょっと航空母艦についての記事が伸びそうです。
どうかお付き合いください!!!

というわけで、世界的軍縮状態が落ち着きを見せ、世界ではナチス・ドイツのヒトラーや、イタリアのファシスト党ムッソリーニなどが第一次世界大戦の結果を受けて徐々に軍拡路線へと分岐器を通っていき、第二次世界大戦へと進んで行きました。

第二次世界大戦で航空母艦は海軍の主役となりました。第一次世界大戦で航空機による戦果が大きく、これまで主役であった戦艦は航空兵力には太刀打ちできなかったのです。

日本においても大艦巨砲主義の終焉に伴って、設計・建造方針においては日本の艦隊運営を担う艦政本部を中心に、航空母艦を主軸とした機動艦隊が戦力の中心とされましたが。だた、軍令部やその戦術方針においては、艦隊決戦主義や大艦巨砲主義が根強く残り、戦艦中心としてあくまでも航空母艦はその補助として機動艦隊が編成されました。戦艦中心の機動艦隊ではなく、航空母艦やその補助艦の機動力を押し出した第一機動艦隊を創設したのは昭和19年(1944年)3月と、かなり遅いもので、日本海軍が大敗をしたミッドウェー海戦昭和17年(1942年)のなんと2年近くも先の事でした。

ほんと、言われているように日本の軍部は頭が固いですね・・・

戦争がはじまると、戦時急造の空母として日本では中型艦隊型航空母艦、イギリスでは軽航空母艦が建造され、第二次世界大戦では正規航空母艦以外にも大量の航空母艦が巡洋艦や水上機母艦、商船や客船をベースにした改装された航空母艦が建造されました。

太平洋戦線では日米海軍の航空母艦が活躍し、大西洋や地中海では空母を持つイギリス海軍がドイツやイタリアの艦船を攻撃しました。また戦場以外の洋上でもアメリカが大量に建造した護衛空母は、対潜哨戒機の補助として制空権の確保と保持を担い、連合国側のシーレーンを確保することになります。

太平洋戦線ではこの航空母艦部隊が戦局を大きく左右することになります。例えば、航空母艦を中核とした機動部隊の活躍は日本の航空母艦6隻から発進した航空機が真珠湾に停泊していたアメリカ太平洋艦隊の戦艦群を壊滅させた真珠湾攻撃から始まり、日米の正規空母による激突する海戦が何度も発生しました。

最初の機動部隊同士による海戦は、1942年5月8日の珊瑚海海戦です。

続くミッドウェー海戦では日本海軍は4隻の主力航空母艦を失い、大きく戦力を減じた日本海軍でしたが、南太平洋海戦では勝利してアメリカ軍の稼動航空母艦を皆無状況まで追い込むことができましたが、強大な国力と工業力を背景に航空母艦戦力の大増強を続けるアメリカに対し、日本の戦力回復は工業力の小ささから進まず、その後の戦力比はアメリカに大きく傾くことになります。

そして、マリアナ沖海戦時には日本の劣勢が明らかになっており、レイテ沖海戦時の日本空母部隊は、囮の役目しか果たせなくなっていました。

さて、あとは戦後!あと1回⁉
またみてくださいね~

さて!「航空母艦 海軍の要②」です!

第一次世界大戦の後、その実績から、日本海軍とイギリス海軍は海上航空兵力の必要性を感

じ、艦船の改造ではない、初めから航空母艦として研究設計をする事となりました。そして、最初に起工された航空母艦はイギリス海軍の「ハーミーズ」でしたが、工程が難航したために完成が遅れ、最も早く竣工したのはなんと日本海軍の「鳳翔」だったのです。

その後、第一次世界大戦の反省から世界的な軍備縮小へとシフトしていきました。
世界的軍縮が主張される中、1922年のワシントン会議により、ワシントン海軍軍縮条約が締結されました。これにより、戦艦や巡洋戦艦など大型戦闘艦の建造はほとんどが中止され、日本、アメリカは建造中であった巡洋戦艦各2隻を航空母艦へ改造する事としました。イギリスは先の「フューリアス」とその姉妹艦2隻を完全な全通甲板を持つ航空母艦に改造し、またフランスは建造を中止した戦艦1隻を改造し航空母艦として完成させました。

日  本:「赤城」、「加賀」
アメリカ:「レキシントン」、「サラトガ」
イギリス:「フューリアス」、「カレイジャス」、「グローリアス」
フランス:「ベアルン」
その後、日本とアメリカは航空母艦の運用実績を活かした新型航空母艦の建造をワシントン海軍軍縮条約に則って続けています。
アメリカ:「レンジャー」、ヨークタウン級2隻、「ワスプ」
日  本:「龍驤」、「蒼龍」、「飛龍」

このように大戦後、航空母艦建造は勢いをつけていき、第一次大戦直後に建造された「鳳翔」や「ハーミーズ」が10,000トン台であったのに比比べ、「赤城」は26,900トン、「レキシントン」も33,000トンと航空母艦は大きさを増して行きました。

その後、ロンドン海軍軍縮条約では、航空母艦の保有量にも制限が加えられましたが、1936年の日本の脱退により、条約による艦船建造の規制時代は終わりを告げることとなりました。
日本とイギリスは条約明け直後から、充分な航空機搭載力を有する大型の航空母艦の建造を開始し、少し遅れてアメリカも大建造に着手しました。戦力増強を急いだアメリカは、すでに建造中であったヨークタウン級1隻を建造しつつ、のちのエセックス級となる新たな設計の航空母艦の開発に入りました。
日本 – 翔鶴型2隻、「大鳳」、「信濃」
イギリス – 「アーク・ロイヤル」、イラストリアス級6隻
アメリカ – 「ホーネット」、エセックス級24隻、ミッドウェイ級3隻
これらの航空母艦は充分な攻撃力と相応の防御力を有しているため、正規空母と呼ばれました。また、イギリスの空母は敢えて搭載機数を犠牲にして飛行甲板と格納庫を強固な装甲で防御しましたが、搭載機数の少なさは完全な欠点となりました。搭載機数の少なさの解決は後のミッドウェイ級が登場するまでされませんでした。

というわけで今日はここまで!
次回もみてくださいね~!

航空母艦、海軍の要①

どうも。世界の海軍です。

今回から3回に分けて現代海軍戦力の要である航空母艦の歴史について紹介します。

まず、初めに航空母艦の祖でもあるのが気球母艦の存在です。

18世紀に気球が発明されて上空から見晴らすことができる乗り物として、軍事利用も行なわれ始めました。これは日本でも着目しいち早く陸軍がこれを研究対象としています。これを陸上ではなく、洋上航空兵器として用いようとしたの気球母艦であり航空母艦の元祖となります。

そしてアメリカでライト兄弟により、航空機が実用化された直後から気球ではなく世界の海軍は航空機へとシフトしていきました。

これが航空母艦となります。

アメリカは1910年11月14日に軽巡洋艦「バーミンガム」に仮設した滑走台から陸上機の離艦に成功

し、翌年1月18日には装甲巡洋艦「ペンシルベニア」の後部に着艦用甲板を仮設し、着艦に成功しました。

さらに、1912年にはイギリスで艦船からの離着艦に成功しています。ただ、これらの成功は港内に停泊中の艦船からのものであり、当時の技術力では実用性は難しいものでした。

第一次世界大戦になると、これまで二次元であった戦闘領域に空中や水中を巻き込んだ三次元戦闘へと変貌を遂げ、日本海軍でも離艦と着水を行う水上機母艦「若宮」を実践投入しています。イギリスは2,000〜10,000トンの商船を水上機母艦に改造し航空母艦 を建造しましたが、戦力の不足を感じ、20000トンクラスの超大型巡洋艦として建造中の「フューリアス」の砲を降ろし世界初の本格的航空母艦が建造されました。

しかし、元々巡洋艦として建造されていたため、現在のような全通甲板を備えるものではなく、真ん中にドでかい艦橋がそびえたつ不自然なものでした。

現在のような全通甲板の航空母艦ができたのはその後すぐで、イギリス海軍によって「アーガス」が建造されています。なんと、この「アーガス」こそが以後の航空母艦のモデルとなったのです。

世界の海軍

こんにちは。
世界の海軍ブログの管理人です!
このサイトでは主に西側諸国の海軍を紹介していきます。

日本は島国であり、特に海軍力については明治維新以降様々な研究を重ね、日露戦争ではかの有名な丁字戦法によりバルチック艦隊を撃滅し、これにより有色人種でも白色人種に勝てると東南アジアやアフリカをはじめ、植民地やその他途上国に希望をもたらすきっかけとなりました。さらに第二次世界大戦では様々な新型兵器(零銭や酸素魚雷はあまりに有名)を開発することで、アメリカ・イギリス海軍を困惑させるに至りました。

このように、日本において海軍とは非常に重要な役割を担っており、戦後現在に至るまでその役割は変化しておりません。

では、日本だけでなく世界の海軍ではどのような試行錯誤がなされ、どのようにして発達してきたのか、これらを皆さんに提供していきたいと思っています!

それでは、「世界の海軍」よろしくおねがいします!